「壊れた脳は治らない」を覆す、脳が自然に治る力を持続させる方法を発見
日本を含め、世界では高齢化社会の形成が進んでおり、脳の血管が詰まったり破れたりすることで起こる脳血管障害(脳卒中)が65歳以上の高齢者に多く見られる。厚生労働省によると、年間およそ10万人が脳卒中で亡くなっており、日本人の死因の第4位で、寝たきりや介護が必要になる主な原因の一つである。脳卒中の約8割が脳梗塞という病気で、脳に血液が通わなくなり、酸素や栄養が不足することによって脳組織が死んで(壊れて)しまうことで発症する。脳には非常にたくさんの神経細胞があり、その神経細胞が死んでしまうと、手足が動かなくなる、言葉が出なくなるといった神経症状が現れる。死んだ神経細胞は元には戻らない(回復力を失う)ため後遺症を残し、脳卒中患者さんを生涯にわたり苦しめ、医療・社会福祉にとっても大きな負担となっている。
「どうして回復力を失ってしまうのか」、東京科学大学(Science Tokyo)総合研究院 難治疾患研究所 神経炎症修復学分野の津山淳助教と七田崇教授らの研究グループは、東京都医学総合研究所、九州大学、フライブルク大学(ドイツ)と共同で、この長年の謎に挑み、脳細胞が回復力を獲得して失うまでの一連のメカニズムを解明した。
研究チームは、脳の中で「医者」の役割を持つ、ミクログリア(脳に常在する免疫細胞)と呼ばれる細胞に着目した。ミクログリアはインスリン様成長因子1(IGF1)などの神経栄養因子を分泌し、シナプスを再構築したり、神経線維を覆う絶縁体(髄鞘)を修復したりする働きを持つ。本研究では、特殊な遺伝子改変マウスを使ってミクログリアを蛍光で光らせ、脳梗塞を起こした脳から集めて調べることにより、ミクログリアが脳を治し始めるメカニズムを解明することに成功した。ミクログリアはIGF1のほかにも、脳修復を促進する神経栄養因子(SPP1など)をたくさん作っていることが判明した。また、ミクログリアが回復力を獲得する引き金となっているのが、神経栄養因子を作らせるYY1と呼ばれるタンパク質の働きであることも突き止めた。このYY1は転写因子と呼ばれる機能を持っており、遺伝子の発現をコントロールする役割を担っている。YY1の働きを失わせると、ミクログリアは神経栄養因子を作ることができなくなり、IGF1を作るミクログリアを脳から除去すると、脳梗塞後に本来見られるはずの自然な脳機能回復が認められなくなることが判明した。
しかし、この優れた自然の回復力は永遠に続くわけではない。脳卒中発症から約2ヵ月が経過すると、脳は十分に回復していないにもかかわらず、自然な回復力を失ってしまうことが知られている。研究チームはこの謎を解明するため、回復力を失った細胞を追跡するシステムを開発して解析を行った。その結果、脳が壊れる前の正常な状態(恒常性)に戻ろうとする過程で増える「TGFβ」というタンパク質の影響により、ミクログリア内で「ZFP384」という転写因子が作られることが判明した。このZFP384はいわば回復のブレーキであり、修復のスイッチであるYY1の働きを止めてしまう。その影響でミクログリアは神経栄養因子の供給をやめ、修復を行わない元の状態に戻ってしまうのである。
そこで研究チームは、このブレーキ役であるZFP384の働きをピンポイントで抑える「アンチセンス核酸(ASO-Zfp384)」という薬を開発した。これを脳梗塞を起こしたマウスに投与したところ、回復力が衰え始める発症1週間後や1ヵ月後からの投与であっても、脳の回復力を維持させることに成功した。これにより、シナプスや神経線維の絶縁体(髄鞘)修復が促進され、手足の麻痺などの神経症状が劇的に改善することが確認された。そして、ヒトの脳梗塞患者の解析においても、マウスと同様に時間の経過とともにZFP384が増え、回復因子のIGF1が減少するという逆相関の関係が確認されている。
今回の研究成果は、「一度壊れた脳は治らない」という従来の常識を覆すものであり、脳に備わった自然な回復力を人為的に持続させるという新たなコンセプトは、脳卒中の後遺症に苦しむ多くの患者に希望を与えるとともに、他のさまざまな臓器の機能を取り戻す治療法開発にも新たな道を切り拓くものと期待される。
「壊れた脳は治らない」を覆す | Science Tokyo – 東京科学大学