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No.628 定着するか、人生の最終段階の医療・ケアのプロセス「ACP」。厚労省「人生の最終段階の医療の在り方に関する検討会」が報告書

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人生の最終段階の医療・ケアについて家族と話し合ったのは4割

 厚生労働省の「人生の最終段階における医療・ケアの普及・啓発の在り方に関する検討会」(座長=樋口範雄・武蔵野大学法学部教授)は3月23日開いた会合で、人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセスを重視する「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP:Advanced Care Planning)の考え方を取り入れた「新ガイドライン」を盛り込んだ報告書をまとめ、3月29日に公表した。

 報告書は、「はじめに」「現状と課題」「国民への普及・啓発」「新ガイドラインの改訂」で構成。普及啓発の内容として、人生の最終段階における医療・ケア方法をあげ、点滴や胃ろうなどの栄養・水分補給、疼痛緩和の方法、人工呼吸器の使用、心肺蘇生処置を例示。新ガイドラインに法的拘束力はないが、ACPなどを推奨しており、厚労省は報告書を基に、普及・啓発に向けた施策の実施を検討する。

 

 富山県射水市民病院で医師が末期がん患者の人工呼吸器を取り外し逮捕された事件などをきっかけに、厚労省が「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を作成して10年が経過。厚労省や自治体、医療団体などの取り組みにより、人生の最終段階の医療に関する理解は一定程度広がったものの、一般国民や医療・介護関係者に人生の最終段階における医療・ケアへの対応は十分でない。今年1月に公表された検討会による「人生の最終段階における医療に関する意識調査」の結果でも、人生の最終段階の医療について家族と話し合ったことがある人は、一般国民で4割、医療福祉従事者で5割にとどまっている図4 終末期に関する関心)。検討会は昨年8月から6回にわたり会合を重ね、今年3月には2007年のガイドラインを改訂するなど、普及・啓発など検討を進めてきた。

 

 

同時改定で「新ガイドライン」を踏まえた対応を要件に報酬アップ

 報告書は、欧米で広まっているACPの考え方を紹介。事前に本人の意思を示す方法として、リビング・ウィル(生前意思)があるが、本人の意思が文書で残されていても、家族や医療・ケアチームと共有されていないと、実際の医療やケアに反映されない場合がある。「人生の最終段階にどのような医療・ケアを受けたいか」は人によって異なるが、例えば「自宅で家族に守られて最期を迎えたい、延命治療などはしないでほしい」と考える人であっても、その考えが家族や医療従事者に共有されていなければ、本人にとっては不本意な医療・ケアが提供される可能性がある。国民一人ひとりが「人生の最終段階にどのような医療・ケアを受けたいかを、家族や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合い、可能であれば文書にしておく」ことが重要となる。この話し合いのプロセスがACPである。

 検討会では、こうしたACPをはじめ人生の最終段階の医療・ケアのあり方について、広く国民全般に周知・普及するために、どのような方策が考えられるかを整理。医療・介護従事者に対しては、本人や家族等に対し医療・ケアの方法(点滴や胃ろうなどの栄養・水分補給、疼痛緩和の方法、人工呼吸器の使用、心肺蘇生処置等)や療養場所(医療機関、介護施設、在宅等における療養上の特徴など)を十分に説明する必要があるとした。

 

 今回の新ガイドラインを後押しする形で、2018年度診療報酬・介護報酬の同時改定では、ターミナルケア関連の報酬について、検討会がまとめた「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」等を踏まえた対応を要件として、在宅ターミナルケア加算と訪問看護ターミナルケア療養費の報酬がアップされた(図5 国民の希望に応じた看取りの推進)。

 

関係者のコメント

 

 

<厚労省大臣官房審議官「私はガイドライン作成を要望した張本人。国民への普及・啓発に努めたい」>

 検討会報告書を受けて厚労省の椎葉茂樹大臣官房審議官は、「射水市民病院事件の当時、私は富山県庁に勤めており、県の職員として一番向き合った担当の一人。当時の県知事とともに厚生労働大臣にも面会して『ガイドラインを作ってください』と要望した張本人であり、改訂を担当するということで運命を感じた」とした上で、「今回ご議論いただいた方向性を踏まえて、本人の意思が十分に尊重されるよう、国民への普及・啓発、医療・介護従事者の育成などについて一層努めたい」と述べた。

 

 

事務局のひとりごと

 あるドラマの1シーン。主人公の臨終の場面で、これまでの人生が走馬灯のように甦ってきて、感動的な最期を迎える・・・。

 

 ドラマであればきれいな終わり方なのかもしれないが、営業などで自動車を運転されておられる方は、何度かヒヤっとした経験がおありではなかろうか?筆者が20代で営業車に乗っていた頃の大阪での出来事。

 

 阪神高速13号東大阪線、高井田-長田 間(大阪の地名)の生駒方面向き右側車線を走行中、関西の運転事情では、前方車両との車間は結構狭い。筆者は東北生まれなので、根っからの関西人よりは車間を開けて走行していた(であるのでどんどん割り込まれる)。とその時、筆者の前の車と、その前方の車が、なんと追突事故を起こしたのである。この高井田-長田 間は、実はなだらかな坂道(下り?)で、意外に突然の渋滞が起こりがちである。前々方の車が急ブレーキを踏んだのか、あるいは前方の車がボーっとしていたのかよく分からないが、とにかく、筆者の目の前で前々方車両の後部と、前方車両のバンパーが、ガッシャーン!と勢いよく破片を撒き散らして急ストップに入る。ハッとする筆者も「わー!嘘やろー!などと叫びつつ当然急ブレーキだ。「間に合わない、死んだ(とまではいかないまでも重体になる)」、と本能的に思ったその瞬間、筆者の目の前の光景は突然スローモーションになった。そして、その日までの思い出が走馬灯のように頭の中で、スローモーションでフラッシュバックしていく。ドラマで見たようなシーンは、本当に起こるんだなぁ、などとどこかで客観的な自分が思っている・・・。せいぜい1~2秒程度のことだったろう。

 

 結果的に、東北育ちのおかげで若干車間が広かったお陰もあり、筆者の営業車はもらい事故に遭わずに済んだ(会社に事故報告書も出さずに済んだ)。その事故を横に見ながら、後方からの車に注意しつつ、左車線にアクセルを踏んで、無事帰社することが出来た。しかし手は震え、心臓はドキドキ。心理状態としてはすぐに別の事故に巻き込まれても仕方がないほどの動揺だ。会社は水走(みずはい)という場所にあったので、下道を含めその後20分もすれば到着する程度の距離だったが、その間、なんと遠く感じたことか・・・。

 そんな走馬灯は二度と経験したくないものである。

 

 本題に戻ろう。本文をお読みいただければ分かるのだが、しかし、「ACP」という言葉を、読者諸氏はご存知だろうか?

 

 「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP:Advanced Care Planning

 

 かつて(今も使用されているが)「終末期医療」といわれていた言葉が表現を変えて横文字になった。

 

 織田信長の戦国時代では「人間50年」であったが、衛生環境の向上、医療提供体制のインフラも進み、医療技術も日進月歩。多くの恩恵を被り、今や「人生100年」の時代もすぐそこまで来ている。人間にとって、生きることにたいする本能的な欲求が実現しているのだから幸せなことのはずなのに、何やら昨今の紙面では「長生きリスク」などという言葉すら誕生してきている長生きは人類にとっての永遠のテーマであり、その実現は幸福なはずではなかったのか?

 

 などと哲学的なことをいってもはじまらない。今や議論は一にも二にも「財政」である。人類は寿命の延長は実現してきたが、どうやら今のところ、お金の呪縛からは逃れられそうにない

 

 これまで何度か触れてきたが整理してみる。

ひとりの人が生まれてから亡くなるまでにかかる医療費を生涯医療費」と呼び、日本人の生涯医療費の平均は約2,500万円特に70才以上が大きく、生涯の医療費の約半分はこの時期に使用される

 であるので、医療費を削減したいのであれば、70才以上の時に投入する医療を、仮に行わなければ、それはあっという間に問題解決である。

 ところがそうはいかないので、今度は健康寿命(平均寿命と健康寿命の間隔は、男女差はあるが、約9~12年あるといわれている)を伸ばそう、そのために予防しよう、という作戦に出る。ただ、恐らくであるが、健康寿命をいくら延伸させたとしても、最終段階で医療資源を投入するのであれば、根源は何も変わらないだろう。問題の先送りである。

 

 「」とは、人間にとってやはり本能的に恐怖を覚える重大なテーマである。一般論としては触れられても、いざ我が身、身内に降りかかってくるならば、財源のことなどお構いなしに、今ある最高の医療資源の提供を追い求めるかもしれない。この循環により、医療費は増大してきているのだろう(高齢者が増えてきているという理由ももちろんあるが)。

 

 医師からはこんなコメントを頂戴した。

○医科大学の教授:「実は、医者は一般国民以上に死の教育を受けていない」

 実は、一般国民に対して以上に、大学の医学教育では死の教育は行われていない。治す医学教育には時間を割いているが、死にゆく患者のケアに関する教育には十分に時間を割いていないのが実情だ。「人生の最終段階の医療の在り方」などの聞こえの良い言葉だけですまさず、一般国民以上に医療関係者が死というものにもっと真摯に向き合わなければ、ACPの議論は空回りするだけだ。

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 若い世代からはこんなコメントだ。

20代の会社員:「人生の最期よりも、年金など老後の蓄えが心配」

 人生100年時代といわれる中、将来の年金も確保できない中、定年後の生活を維持する老後の蓄えの方が心配だ。人生の最期を考えるよりも、老後の蓄えが心配だ。

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 ご心配なく。あなたが高齢者になる頃には、「定年」などという概念自体、無くなっているかもしれないのだから。我が国は「一億総活躍社会」を目指しているところです(もっとも、その頃の総理大臣は、今の総理大臣とは違った方なのだろうが…)。

 

 

 50代のサラリーマンからはこんなコメントだ。

50代後半のサラリーマン:「親の介護で手一杯で自分の最期を考える余裕はない」

 会社の介護休暇制度を使って何とか父の介護をしている。自分自身の人生の最期を考える余裕はなく、父の看取りをどうするかの方が切実な問題だ。

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 こちらは切実な問題である。「介護離職」とならないことを切に祈りたい。「ACP」の必要性がもっとも問われる世代であるだろう。

 

 高齢者からはこんなコメントだ。

70代で週3日勤務:「残る家族に迷惑をかけたくない」

 エンディングノートや遺影の事前撮影、持ち物の整理、葬儀やお墓の準備などの「終活」の準備を始めている。また、葬儀社による入館体験や模擬葬儀体験など「死」を疑似的に経験できるイベントにも参加した。とにかく元気なうちに準備したい。残る家族に迷惑をかけて死にたくない。

 

○がん治療を受けている70代:「終末期の医療費で家族に迷惑をかけている」

 通院してがんの外来治療を受けている70代の高齢者。1人の人が一生のうちに使う医療費の約半分が死亡前の2ヵ月、つまり終末期医療費とも言われている。まさに自分がその立場にあり、医療費で家族に迷惑をかけており、時折、無理して生きていることがつらく感じる。

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 対照的な高齢者のコメントである。「ACP」の重要性を思うところだ。

 

 最後にこんなコメントを紹介したい。

○日医総研研究部長:「オランダでは、個人の自己決定が尊重され、契約家庭医も存在し、安楽死を認める土壌」

 昨年10月7日、「生命倫理について~終末期を迎えるにあたって~」をテーマに開かれた平成29年度日医総研(日本医師会のシンクタンク)セミナーで、「それぞれの終末期―臨床医からみたラストステージ」について講演した澤倫太郎日医総研研究部長は、積極的安楽死が法律で認められているオランダについて、いくつもの事例を経て、精神的苦痛にも安楽死が認められるに至った経緯を概説。その背景として、オランダには、①個人の自己決定が尊重される社会である、②契約家庭医が存在する-という安楽死を認める土壌があることをあげた。

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 「何を『尊厳』とするか」でものの考え方は変わってしまう。世界に冠たる国民皆保険制度」を作った我々日本人の進む道は、欧州のような考え方なのか?それとも命に勝るものはない、という生命自体を「尊厳」とした考え方で国民的な合意形成がなされてゆくのか?その前に「ACP」という考え方の普及が先なのか?タブー視されてきたように見えるテーマであるだけに重要度が分かっていても、先は見えない

筆者個人としては、「終活」を終わらせて、「PPK(※2)」で逝きたいものだ。

 

<ワタキューメディカルニュース事務局>

 

(※2)・・・ ピンピンコロリ。ただそれでいくと、20代の時に、見たくなくて見みてしまった走馬灯を、ドラマのような、出来すぎた見方で見ることは叶わないのかもしれない・・・。

<筆者>